【男気?】白装束で謝罪の逸話

天正18年の6月9日は小田原攻め合戦に遅参した
伊達政宗公が豊臣秀吉に白装束で謝罪した日だそうです。

1590年、既に天下の大半を手中に収めていた豊臣秀吉が、関東は小田原城に居する北条氏を征伐するために20万もの大軍を率いて来襲しており、
その際、東北の諸大名に対しても秀吉に対する臣従の証しとして挨拶に来いと言ってきました。

 政宗としては、まだまだ領土拡大の野望は尽きておらず、しかも北条氏と同盟も結んでいたため、どうすべきか進退に悩みました。
しかしさすがに、20万の大軍には勝てないと判断し、秀吉に対する臣従の意味も含めて小田原攻めに参陣することにしましたが、
タイミング悪く伊達家のお家騒動も重なり、小田原参陣に一ヶ月も遅参するという失態を犯してしまいました。

 秀吉の怒りは火を見るより明らかなので、このままでは伊達家は危ないと判断した政宗は、
秀吉との謁見の際、白装束(死に装束)で見えると言う策に出ました。

 白装束=死の覚悟を決めている、という肝の据わった政宗の行動に対し、先手を打たれた秀吉はむしろその政宗の性根に感心し、
処遇は一部領土の取り上げのみに収まりました。

秀吉の性格を見抜き、それを逆手にとったパフォーマンスだったようです。